ビジネスカタパルト事業 概略
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ビジネスカタパルト事業とは
創業以来、設立の大きな目的の一つである新しい事業を立ち上げるフィールドにプレシードをしたいというのがありました。 社内で思いをもっている人たち、また社外で新規事業の起案提供者等と共に短い期間での立上げに挑戦し、失敗リスクを減少させ、成功すればその得られる利益の一部を更なる新事業に向けるという運営をプレシードの事業として大きな柱に育てることを目指し、実務支援型のインキュベーター活動を行うものです。
ビジネスカタパルト事業詳細
ゼロからの起業は総務、経理、財務、人事、購買など基本的な会社機能を運営するのに多くの時間とエネルギーを費やしてしまいます。企業信用の確立も時間を要します。取引の信用は創業したばかりの起業には大きな壁です。口座開設など意味も分からない言葉に途方に暮れることも多いものです。今まで、弊社の採用時に思いある人たちには「すでに設立されたプレシードというフィールドを使って自分の夢の新規事業を始めてもいい。」と伝えてきました。
今後もプレシードは既存市場でパイの奪い合いビジネスに参入するより、新たな市場を開拓するビジネスに挑戦する能力を持つ次世代を育てたいと思っています。プレシードの技術力、技術評価力と資材調達能力、人脈、国内外への広域展開力、顧客を裏切らない企業信用力などを用いて、小さなチームが新たなビジネスフィールドでの起業を支援し立上げを加速するという機能を、航空機射出カタパルトにたとえ「ビジネスカタパルト事業」と呼ぶことにします。
ビジネスカタパルト事例
レジストコーター事業 2002年~
S社からの受注でプリント基板への塗布装置として始まった。その後、プラズマディスプレイの大型化共に装置の大型化に挑戦、スケールアップの度に開発赤字を重ねながら一辺が2mを超えるガラスサイズまで実績を積んだが開発費回収も出来ないうちにプラズマテレビ市場消滅。
その後:一時の受注空白時期を得て液晶用コーターとして復活、S社との連携で過去の実績活用で多くの装置を出荷し利益を得ている。
株式会社プレシード・ジェム → 活動中止中
ISO9000、14000が普及し始める時期にその取得コンサルを中心に社員教育や生産性改善をするコンサル事業を始めたいとの希望に対し全額プレシード出資の子会社を発足させた。
鉛フリーハンダの市場開拓販売 2001年~2005年
東京の営業担当が前職で行っていたビジネスを立ち上げたいという申し出によりスタートした。電子部品の実装に使用されるハンダの鉛フリー化をめざし、一部上場電機メーカーF社のパテント使用権を得て、ハンダメーカーに試作依頼し国内外での採用と普及を図った。
その後:米国でプレシードアメリカInc.を動かし巨大半導体メーカーI社へ試験材料としての販売までは実現したが、その後評価には3~5年かかるとの回答もあり、米国法人撤収もあって断念。
産業用インクジェット装置 → 独立事業へ進展中
インクジェットへインク供給装置受注で取引始まった家電メーカーP社に居た技術者が早期退職するのを事業立ち上げ責任者そして採用し、主に産業用印刷機を受注し設計製作したが、既存の印刷業界や中国市場での展開が中心で受注物件も少なく赤字続出で起案者も退職。残事業完了と売上回収に多くの費用と時間を要した。
その後:レジストコーター事業を展開していた業界へ特殊塗布装置として事業や特殊対象物への印字として設計製造販売を重ねながら、標準装置を開発し販売を始めた。
太陽光発電設備普及事業
ソーラーパネル製造装置を長く製造してきたことからソーラー事業への関心と業界人脈と知識も多かった。ソーラーパネル生産ラインを手掛けたメーカーやヨーロッパのメーカーのパネルを調達し主に中小企業工場の屋根の上への設置中心に総務と技術部連携で新規採用なし、設備投資なしで普及事業を始めた。
その後:幾つもの実績を遺したが、買い取り価格の急速な低下で業界が低迷して現在に至り、専従員なし。
売電用小型風力発電設備の普及事業 2013年~
米国法人運営時代の知人より日本国内での認可のアドバイスと支援を要請されたことから始まる。有料アドバイザー活動1年の後、日本国内での総代理店契約締結後日本国内での認可普及を目指す
その後:熊本県上天草市に2015年1月に日本国内初の小型風力発電全量売電の設備の売電開始。現在さらに個別認証を超えてJET認証得ての普及めざし活動中。
食品事業 → 独立子会社化検討中
県立高校家庭科教師が長期間の管理職勤務での疲労から早期退職し、個人的趣味として開発を行っていた大麦グラノラを2013年に商品化。全く事業として接点のない分野であり販売手法も異なる事業であるが社是、経営理念に合致するものとして挑戦した。当初、開発者をパート社員として採用し経営企画室、総務を中心の社員による兼務業務で開始。
その後:新規採用したパティシェ、調理師、管理栄養士など女性専従社員の構成チームとなり、未経験だった全国での催事参加などで販売も急速に拡大し設備と新たな食品開発も徐々に進めながら新事業として会社の柱に育てる方向に向かっている。
オフナー顕微鏡
社長の10年来の知人である光学系ベンチャーⅯ社が開発パテントを持つ光学システムを世界初のオフナー顕微鏡としてのシステム開発に参加。
その後:販売しながら様々な機能と用途を開発し日本国内での普及を目指す
当社の東京事業所従業員の留学生就職支援事業の為の独立に対して株式の1/3弱を出資しマネージメント支援と我社の海外人材獲得や人脈拡大の副次的効果を期待している。
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